後藤繁樹さんは、かつて愛知県の秋田運輸株式会社(現:アキタ株式会社)の代表取締役社長を務めていた人物で、馬主としてもG1馬のサニングデールを所有するなど、多方面で活躍した方です。
また、北海道日高にあった曾田農園(現:チャンピオンズファーム)の設立者でもあり、競走馬に対して並々ならぬ情熱を注いでいました。
ただ、秋田運輸株式会社でどのような仕事をしていたのか、その人となりなどは謎に包まれているので、本稿では人物プロフィールや馬主としての成績など、調べうるすべての情報を公開していきたいと思います。
- 後藤繁樹は秋田運輸式会社元社長で元馬主
- 秋田運輸株式会社について
- 後藤繁樹の馬主成績
- 唯一のG1馬サニングデールについて
- 競走馬の牧場である曾田農園を運営
- 馬主になるための要件
- 赤字でも馬主になる理由
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後藤繁樹について
後藤繁樹(ごとう しげき)さんとは、かつて秋田運輸株式会社(現:アキタ株式会社)の社長を務め、JRA日本中央競馬会の馬主としては多くの競走馬のオーナーとなっていた、競馬界では名のしれた人物です。
生年月日は昭和15年(1940年)4月1日で現在の年齢は82歳とかなりのご高齢となり、厚生労働省の後期高齢者医療制度に当てはめるなら後期高齢者になります。
秋田運輸株式会社の社長だった頃は、会社の近くである愛知県西春日井郡に住んでいたようですが、現住所は不明です。
また、アキタ株式会社の代表取締役社長や役員には後藤繁樹さんの名前はなく、後藤姓の方もいらっしゃらないので、一族を会社に残すということもしていないようです。
馬主として活躍していたのも以前のことで、所有馬の記録としては、1983年度に初出走し2010年に勝利を記録したのが最後になります。
プロフィール
- 名前:後藤繁樹(ごとう しげき)
- 生年月日:昭和15年(1940年)4月1日
- 性別:男性
- 住所:愛知県西春日井郡(現住所は不明)
- 経歴:秋田運輸株式会社元社長、曾田農園元代表
- 馬主服:黄、紫二本輪、紫袖
後藤繁樹は秋田運輸株式会社の元社長?
後藤繁樹さんは秋田運輸株式会社の社長だったことがあります。
正確な就任の年や辞任の年は不明ですが、1980年代に社長だった記録が残っています。
ここでは、かつて後藤繁樹さんが社長を務めた秋田運輸株式会社について調べました。
秋田運輸株式会社について
秋田運輸株式会社は第二次世界大戦が終戦してから2ヶ月後の昭和20年(1945年)10月に秋田さんという方が創業し、会社としては昭和23年(1948年)8月に登記設立されました。
後藤繁樹さんが社長を務めていたとみられる1970年代や1980年代には、一宮営業所開設(1972年7月)、豊田営業所開設(1981年10月)と会社組織を拡大していた時期で、後藤繁樹さんは会社を大きくした功労者なのでしょう。
秋田運輸株式会社の現在は、全国に30箇所近い拠点と5つの物流センターを持ち、対応エリアは東北から関東・甲信越・中京・北陸・関西・四国・九州までと本州から九州までを結び、幹線輸送や地域集配で事業を展開しています。
データとしては、売上高は162億3,086万円(令和4年7月期)、従業員数は1,094名、保有車両台数は681台(大型車548台/中型車128台/小型車5台)という中堅の運送会社です。
また、平成29年(2017年)9月には秋田運輸株式会社からアキタ株式会社に社名を変更し、本社も平成30年(2018年)4月に名古屋市中村区へと移転しています。
さらに、高品質な輸送サービスを全国で展開するために、ロボットを活用したIT点呼システムや社内情報共有デバイス、全車両にGPSを活用したクラウド型動態・運行状況管理システムといったデジタル化を推進していて、運送業界が抱える慢性的な問題の人材不足・高齢化への対応も進んでいます。
後藤繁樹の馬主成績
後藤繁樹さんはJRA日本中央競馬会の馬主として競走馬のオーナーになり自分の馬を走らせていました。
所有馬が出走していた1983年から2010年の間に160頭を超えるサラブレッドを所有していて、競走馬の生産・育成牧場として曾田農園を運営するなど、競馬の世界に深く関わっていました。
馬主の一部には、トウカイテイオーなどの「トウカイ」、アグネスタキオンなどの「アグネス」、アドマイヤベガなどの「アドマイヤ」、キタサンブラックなどの「キタサン」(馬主は演歌歌手の北島三郎さん)など冠名をつけることが多いですが、後藤繁樹さんの場合は全ての馬に特定の冠名をつけることはしていませんでした。ただ、一部の馬の頭に「リキ」という冠名をつけることがありました。
データとして馬主としての成績は、通算勝利数で中央145勝・地方442勝、通算獲得賞金は中央27億6,141万円・地方6億7,882万円となっています。
全盛期のリーディング情報
1983年から自分の所有馬を走らせ始めた後藤繁樹さんですが、1999年までは馬主としての最高順位は171位で、1,000位台も複数あるなど、あまり成績はふるわなかったようです。
しかし、2000年になるとリキセレナードが重賞の小倉3歳S(G3)を勝つなど活躍し、2004年にはサニングデールが高松宮記念(G1)で勝利を収めG1馬オーナーの仲間入りを果たします。
その後も所有馬がコンスタントに勝ちを重ね、2010年まで堅調に二桁順位をキープしていました。
後藤繁樹さんの馬主としての全盛期と言うならば2002年から2010年までの9年間がそれに当たるので、リーディング情報を紹介します。
年度 | 順位 | 獲得賞金 |
2002年 | 55位 | 2億7,017万 |
2003年 | 69位 | 1億9,627万 |
2004年 | 44位 | 3億1,976万 |
2005年 | 116位 | 1億1,479万 |
2006年 | 51位 | 2億8,241万 |
2007年 | 60位 | 2億4,028万 |
2008年 | 43位 | 3億1,148万 |
2009年 | 49位 | 3億1,206万 |
2010年 | 66位 | 2億760万 |
サニングデールが高松宮記念(G1)に勝利
JRA日本中央競馬会の最高格のレースであるG1(ジーワン)には、ダービーや有馬記念など24レースしかなく、JRAに登録して出走したサラブレッドがG1で勝つ確率は1%未満という非常に狭き門です。
その極小の確率をかいくぐり、実力でG1を勝つことができたのが、後藤繁樹さんが所有していたサニングデール(瀬戸口勉 調教師)です。
サニングデールは2001年に中京競馬場にて1着でデビュー戦を飾り、その後の27戦で全て1400メートル以下のレースを走った短距離馬です。
3歳時には中スポ賞ファルコンS(G3)を勝ち重賞ウィナーとなり、スプリンターズS(G1)でも4番人気に押される(レースでは8着)など短距離路線で実力と人気を兼ね備えた馬でした。
そして4歳時には高松宮記念(G1)で2番人気2着となるなど活躍は続き、5歳時についに高松宮記念(G1)で勝利しました。
通算成績は27戦7勝、獲得賞金は4億1,939万円という名馬でした。
その他の所有馬
後藤繁樹さんの所有馬でサニングデール以外にも活躍した馬を紹介します。
まず初めて重賞を勝った馬は、2000年に小倉3歳S(G3)を勝ったリキセレナードです(瀬戸口勉 調教師)。
そのほかで活躍した馬は、2003年の弥生特別(OP)勝ち馬のスクールボーイ(小林常泰 調教師)、2008年ブラッドストーンS(1600万下)勝ち馬のタータンフィールズ(角田輝也 調教師)などがいます。
後藤繁樹が運営していた曾田農園
後藤繁樹さんは、多くの競走馬牧場がある北海道の日高で曾田農園を運営し、競走馬の生産・育成を行っていました。
農園という名前ですが、競走馬事業がメインで複数の繁殖牝馬を繁用し、曾田農園で生まれたアーバンストリートは重賞のシルクロードS(G3)を勝ち、競走馬人生で59戦7勝と多くのレースを戦い、1億6,957万円の賞金を持って帰った孝行馬です。
曾田農園はその後にレキシントンファーム、チャンピオンズファームと名前を変え、現在は株式会社チャンピオンズファームの所有となっています。
馬主になるには?
競走馬のオーナーである馬主は、非常に審査が厳しいことでも有名です。
ここでは、個人馬主登録の要件とハードルが低い一口馬主について説明します。
個人馬主登録の要件
個人としてJRA日本中央競馬会の馬主になるためには厳格な要件を満たす必要があります。
まず、日本中央競馬会競馬施行規程第7条第1号~第13号に該当しないことが求められ、禁錮以上の刑に処せられた犯罪者や競馬法違反者、暴力団関係者などは馬主になれません。
そして経済的な要件として「継続的に得られる見込みのある所得金額(収入金額ではない)が過去2か年いずれも1,700万円以上あること」「継続的に保有する資産の額が7,500万円以上あること」という2点があり、資産家でないと個人馬主になることが難しくなっています。
馬主を疑似体験できると評判の一口馬主
個人でJRAの馬主になるには基本的に犯罪歴がなく、富豪である必要がありますが、馬主を疑似体験できると評判の一口馬主という制度もあります。
これは、一口馬主を募集する法人クラブがあり、クラブが馬を買い、その馬に対して40口から1万口まで分割して出資を募集します。
資産がなくても出資することで馬の馬主になった気分が味わえるので、多くの競馬ファンから愛されている制度です。
馬主は儲からない?馬主を続ける理由
基本的に資産がある人がなれる馬主ですが、実はほとんどの馬主が赤字となっています。
競走馬は、数百万円や数千万円、時に数億円もする子馬の購入費用、厩舎に預ける預託料などが高く、レースの賞金だけでは基本的には儲からないシステムです。
つまり、馬主になることは経済的な利益を求めるのではなく、純粋にサラブレッドのロマンを追うような人や、経済的に成功した人しかなれない馬主というステータスを求めるような人が馬主になるケースが多くなっています。
また、赤字でもその金額を経費にして税金対策にする場合もあり、儲からなくても所得を下げることで税金額を下げるというのも馬主を続ける理由のひとつです。
まとめ
以上が、秋田運輸株式会社元社長で馬主としても知られる後藤繁樹さんについて調べた結果です。
秋田運輸株式会社では、会社の事業を拡大したやり手であったことがうかがえる人物でした。
また、馬主としては、競走馬の育成や生産を手掛ける曾田農園の運営にも携わっていて、G1馬サニングデールのオーナーでもあり、かなり本格的に馬主としての活動を行っていたことがわかりました。
ただ、メディアなどに登場することはなく、SNSなどでも名前を見ることがなく、その人となりは謎に包まれた人物でした。
すでに80代とご高齢のために今後も表舞台に立つことはないと思われますが、いまでも競馬のレースを見たり、どこかで競馬を楽しんでいたりするのではないでしょうか。